Ristorante L'oasi 奈良 ロアジについて。
少し長くなりますがご了承ください。
ロアジは奈良県吉野郡東吉野村にて1995年に開店しました。(当時人口3,100人余)
イタリア語でオアシスという意。ここを訪れた時、この名前以外無いと感じました。
以後、ロアジは大きくレストラン業界の常識を覆す存在となりました。(某経営コンサルタント談)
まだ私は32歳で自分のレストランの理想像が明確にありました。
誰にも邪魔されずにこの田舎で自分の理想を形にしたかったのです。
パッション(情熱)も理想もピークの時だと感じていました。
イタリアからたくさんの種類の野菜の種を持ち込み、当時まだスローフードという言葉も地産地消も叫ばれていなかったころでした。(私共はみずからを自産自消と呼んでいます。)
イタリアでの生活では驚くほど新鮮な野菜が適価で朝市に並んでいるのを見て当たり前のように購入し、生活していましたので、当時の日本の野菜の見た目重視、流通自体に疑問を感じていました。(今はどうでしょうか?)
開店当初からいまだに市場に出回っていないプンタレッレロマーノや採れ立ての生アーティチョークのサラダ、サンマルツァーノトマトも20種以上は試したと思います。
旬という言葉の意味が本当に10日ほどしかないということを体感できたお店でした。
海の無い奈良では魚が手に入りません。ゆえに一切使用しませんでした。
それがあたりまえだと感じていました。
ランチ7、150円ディナー10,500円。完全予約、週休2日、しかも1月ー3月まで休むという営業体制にもかかわらず、13年間すべての週末は満席でした。いつも2か月ぐらい先の予約が入っていました。
うれしかったです。自分の作りたい物を予約してまで食べに行きたいと思って下さる方がたくさんいらっしゃる。若い子より早くパンの仕込みをし、気温を確かめながら捏ねていく。一日の儀式の始まりでした。
最大限の努力をしておいしいものを提供しよう。トップクラスのお客様が多数お見えになり、サービスをするまったく飲食業で働いたことのなかった妻でありマネージャーでもある清香は必至でした。
98年借金完済後24席あった席数を16席に縮小。12人で満席とし、
それ以上予約はとらず、より高いクオリティを追っかけていました。若かったんです。気力もエネルギーも充実していたと思います。多くのすばらしいお客様に恵まれて世界一幸せなレストランだとずっと妻と二人で感じていました。
ロアジは私たち夫婦にとっても、素晴らしいお店でした。不満に思うこともありませんでした。
なぜ、閉めることになってしまったのか。答えはまだ出ません。間違った選択をしたかもしれない。
僕は社会に生かされています。まだ必要だと言ってくれる人がいる。
だから生きていられます。
料理は5分で消滅し、お店は一代だったら20年程で無くなる。
それに僕は80歳くらいで亡くなるだろう。70かも知れない。もっと早く?
いや現場にいられるのはあと10年あるかないか。だから閉めることにしました。
もう少しだけやりたいことが残されている。そう感じました。だから。
また、ロアジはそのままの形で残りますし、私はできるだけ野菜も作り続け、西宮に供給します。
落ち着いたらロアジを再開するかもしれません。
それらを終え、老犬になったらイタリアでのんびり過ごしたい。全うに生きたと思っていたい。
その頃少しはわかるのでしょうか。
(タイトルと文にずれが生じておりますが、お解りいただけたと思いこのままにします。)