永松 信一(Nagamatsu Shinichi)
1962年福岡県生まれ。19歳でイタリア料理に出会い上京、24歳で渡伊。フィレンツェ、ミラノ、ベネツィアなどの
修行期間を経て帰国、東京、西麻布リストランテ アルポルト(3年間)スーシェフを経て再度渡伊、
フィレンツェ 「trattoria pizzeria i tarocchi 」にてシェフを経験、のち帰国。
奈良 東吉野にて11994年夏、リストランテ ロアジを開店。
95年より毎年30-45日に及ぶ在伊を経て、修業時代に過すことができなかった地を巡り、地方料理を食する旅を繰り返している。渡伊20回以上、既に全滞在日数は5年を超えた。
兼任輸入商社食品仕入部門監査役。
近鉄文化サロン 料理教室 2000-2005年 非常勤講師
京都調理師専門学校 非常勤講師
2007年11月ピエモンテ アルバにてprima internazionale festa di tartufo(トリュフ祭)ゲストシェフとして参加。
Ristorante conti roero http://www.contiroero.com/ ,
Isola d'asti locanda boscograndeにてコラボレーション。http://www.locandaboscogrande.com/
2008年8月31日 リストランテ ロアジ閉店。
2008年11月西宮にオステリア ジュリアを開店予定。現在に到る。
愛犬ゴールデンレトリバー「パスタ」に仕事の疲れをいやしてもらい、シャワー後のマッサージで至福の時間を感じる。
仕事がら生ものを扱う反動からか、休みの日はオールドアルファ(alfaromeo 2000gtv '73 とgiulietta spider tipo750 '58)をいじくり、どろどろになっている。。。。イタリアで車の部品を探し、仕事とかこつけては車を飛ばし
毎回3000km-5000kmを走る。現在の夢はこの2台が普通に走ってなおかつ止まってくれる事。
(イタリアでは食品の仕事もしています。あしからず。)(も って?)
Giulia 名前の由来
GIULIAという名前は、1987年、今から21年前のフィレンツェ、当時まだ24歳の私がイタリアで初めて修業を始めた女性シェフの名前です。
本名Giulia finanziera
.彼女の料理は決してきれいな料理ではありませんでしたが、想像できなかったくらい美味しかった野菜のスープ、目分量で焼き上げるタルト。驚きの毎日でした。もちろん私自身大きく感化され、今でもあの頃の無知でがむしゃらに生きていた頃に戻って料理を見つめ直したいと思い、彼女の名前を使わせて頂きました。 1998年心臓発作により 死去。
あなたの料理は今でも私の中に生き続けています。あなたの作った野菜のスープが脳裏に焼きつき忘れられません。 いつもスープを作るとき、あなたの笑顔を思い出し、味を思い出しながら作っています。心よりご冥福をお祈りいたします。
Giulia.このお店をあなたに捧げます。そして、私もあなたのような料理人を目指しています。
Giulia finanzieraに敬意を表して.